どんどこびより

オタクが趣味について好き勝手につぶやいてます

なんでnoteじゃなくてはてなブログなのか

noteは悪くない。使いやすそうだし、体感ユーザーも多い。正直、noteの方が多くの人に見てもらえる気がするし、続きやすそうな気がする。

 

最近、マラソンかなんかのことを書いてる50代くらいの男性のはてなブログを読んだ。たまたま、風景の写真を検索してた折に出てきて、何となく見ただけだった。写真とかと共に、簡単な感想とかが綴られていた。正直、名文とかそういうわけじゃなかった。

 

でも、俺はこういうのが好きだったんだよな、って思った。昔、インターネットが無限に広がる世界のように思えた時、こういうどこの誰かも分からない人間の生活臭のあふれたブログを読んで、ワクワクしたんだ。この日本のどこかに、こういう風に趣味のことを書いて楽しんでる大人が当たり前にいるんだってことが嬉しかった。

 

xから飛んで、はてなブログの風俗感想記事を読んだ。アラサーらしい。読んでいて、この人は多分、noteじゃなくてはてなブログを選んだんだと思った。その感覚に共感して、俺もこんな風に自分の書いたものをネットの片隅に残しておきたいと思った。

 

あとぶっちゃけ、noteはちょっとカジュアルなサブカル臭がする。

もうすぐ社会人になるオタクが思うこと

社会人になってからの時間が長すぎる。永遠のように感じた大学も4年間だったのに、これから40年くらい社会人とかいうフェーズがあるのヤバすぎる。

 

何がヤバいって、40年区切りが無いのがヤバい。ふと先のことを考えた時に、「俺ってこれからの人生社会人になったあとは老いて死ぬだけなのかー」と思ってしまうのがヤバい。ヤバすぎる。もっと1年ちょいくらいごとの30フェーズくらいに分けて欲しい。

 

高校とか大学とか、区切りがあって、ずっと俺はそれらを舞台にした物語を楽しんできて、だからそこが過ぎたら、これからは結構後半戦? というか、死が近づいてきている気がしてしまう。それがたまらなく恐ろしい。

 

これはすべてのオタクに言えることでは無いと思うけど、俺は「物語のキャラクターに自分を重ね合わせて楽しむ」タイプのオタクだったから、俺は学生生活を彼らのように遅れなかったな、ということがかなり頭にへばりついている。冷静に考えてヤバい。俺の人生は一度きりなんだぜ? それが、もう終わってしまうのかよ。

 

勿論、物語は先人たちの憧れや祈り、悪く言えば妄想から出来たものであるだろうから、そんな風に送れないのは当然だとも思う。周りの人間も必要だし、彼らは多くの場合、物語のキャラクターほど人間が出来ていない。

だから仕方が無いことだとは思う。そもそも、真似ようとする自意識を持ってしまっている時点でフェイクだし。

 

これからはどうしようか。もっと多くの物語、とりわけ社会人となった人たちあるいはその程度の年齢の人たちの話を読むか、それか物語に頼るのを止めるか。

後者はとても寂しい気がする。